日野原重明先生 

日野原重明先生が、105歳生涯現役を貫いて天に召されました。

日野原先生が歩まれた105年は、まさに日本の激動期と重なります。
慈愛に満ちたまなざしで、医学の現場から「いのち」を見つめてこられました。

そんな日野原先生が子ども達に贈る言葉が、教科書に載っています。
あまりに素晴らしいので、記させて頂きます。
アフタースクールここね のここねタイムで日野原先生を子ども達に紹介させて頂こうと思います。

以下少し長いですが、全文です。
是非お読みください。

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日野原重明 『君たちに伝えたいこと』

君が今、12歳あたりだとすれば、95歳を過ぎたわたしの年齢は、君のおよそ8倍です。

時間の長さについてだけいえば、

君が今日まで生きた年月を、

わたしはもうすでに8回もくり返してきたことになります。

 

さて、君のおよそ8倍長く生きているわたしから、君に「寿命」の話をすることにしましょう。

 

「寿命」とは何かな。

「寿命」とは、生きている人のいのちの長さのことなんです。

 

つまり、その人にあたえられた、

生きることに費やすことのできる「時間」です。

 

それは、生まれたときに、

 

「はい、君は日本人ですね。では、今のところ、日本人の平均寿命は何歳ですから、

何年分の時間をさしあげましょう。」

 

と、平均寿命に見合った時間を、

ぽんと手渡されるようなものではありません。

 

それではまるで、生まれた瞬間から寿命という持ち時間を、どんどん削っていくようで、

なんだか生きていくのがさみしい感じがしてきます。

 

わたしがイメージする寿命とは、

 

手持ちの時間を削っていくというのとはまるで反対に、

寿命という大きな器の中に、

精一杯生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。

 

ぼんやり時間を過ごそうが、

何かに没頭して過ごそうが、

時間をどう使うかは、

ひとりひとりの自由に委ねられています。

 

もちろん、今の君の1日は、

学校の授業や塾やおけいこごとでぎっしりスケジュールが組まれているかもしれません。

 

それでも、その決められた時間を集中して過ごすか、居眠りしながら過ごすかは、君しだいです。

 

その時間の質、つまり、時間の中身を最終的に決めているのは、

君自身だということです。

 

時間いうものは、

止まることなく常に流れています。

 

けれども時間というものは、

ただの入れ物にすぎません。

 

そこに君が何をつめこむかで、

時間の中身、つまり時間の質が決まります。

 

君が君らしく、生き生きと過ごせば、

その時間はまるで君にいのちをふきこまれたように生きてくるのです。

 

わたしがこれから先、生きていられる残り時間は、君に比べるとずっと短いでしょう。

 

けれども、それだけにいっそう、

一瞬一瞬の時間をもっと意識して、

もっと大事にして、精一杯生きたいと思っています。

 

そして、できることなら、

寿命というわたしにあたえられた時間を、

自分のためだけに使うのではなく、

少しでも他の人のために使う人間になれるようにと、わたしは努力しています。

 

なぜなら、ほかのひとのために時間を使えたとき、時間はいちばん生きてくるからです。

 

 

君が生まれたときに、

君の周りにいた人たちがどんなに幸せに包まれたかを、

君は想像したことがありますか。

 

小さな君が笑うたびに、

きっと君のそばにいただれもが、

思わずにっこりと微笑み返したことでしょう

君が体いっぱいで泣いていれば、

そばにいた人たちは、

どんな用事で忙しくとも、

その手を止めて、

君のもとにかけ寄ったことでしょう。

 

そうやって君のお世話をすることが、

そばにいた人たちには時々とても疲れてしまうことがあっても、

そうすることはそばにいた人たちにとって、

ほかの何ものでも味わうことのできない喜びでもあったのだと思いますよ。

 

だからどんなに忙しくても、

疲れていても、

小さな君のためなら、

そばにいた人たちは精一杯尽くしてくれたのです。

 

なぜ、そうやって君を世話することで喜びが湧いてくるのか。

そしてどんな喜びだったのか分かりますか。

 

それは、自分の時間を純粋に君のために使っていたからこそ、

湧いてくる喜びだったのです。

 

ほかの人のために時間を使うということは、

自分の時間が奪われて、

損することではないのです。

 

それどころか、ほかのことでは味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされるのです。

 

こんなに大きなお返しをもらえることなんて、

めったにありません。

 

私が自分の時間をほかの人のために使うことに努力している理由が、これで君にも分かったでしょう。

だから、わたしは君にも、

ぜひそうしてみることをおすすめします。

 

 

さて、ここまで私は、

寿命という時間の使い方についてお話ししてきました。

時間というものはただの入れ物にすぎないのであって、

そこに君がいのちを注いで時間を生かすことが大事だという話をしましたね。

 

そして、自分のためだけでなく、

ほかの人のために時間を使えるようであって欲しいとお話ししました、。

 

でも長い人生においては

自分の思うとおりにはいかないこともたくさん出てきます。

 

君が自分で選びとったわけでもないのに、

つらくて悲しいことにも出会わなければならない日が、この先にはあるかもしれません。

 

そんなときには、

いつものきみのように、

前向きにものごとを考えたり、

かっこよく過ごしたりなんて、

とてもできなくなりますね。

 

悲しいときの自分なんて消してしまいたいと思うことさえあるかもしれません。

 

でもそんなときにも、

忘れないでいて欲しいことがあります。

 

 

嬉しいときだけが、

「君」ではありませんよ。

 

笑っているときの君だけが、

「君」では、ありませんね。

 

悲しいときの君も、

はずかしくて消えてなくなりたいと思うときの君も、「君」なのです。

 

だから、つらいときや悲しいときの自分も大切にしなければなりません。

 

成功して喜びでいっぱいになっているときの君も、

失敗してなみだを流す君も「君」です。

 

どんなときの自分も大事にすること。

 

自分のことをいつも大好きだと思っていること、これはとても大切なことです。

 

だから決して忘れないで下さい。

 

君が生まれてきて、

今ここに、

こうして同じときを生きていけるということは、とても嬉しいことであり、

一つの奇跡のように素晴らしいことなのです。

 

今、私が君にこうして語りかけることができるのも、

君がそこにいて、私が、ここにいるからでしょう。

 

それは本当に素敵なことなのです。